学生の頃は、服が「自分を表現する手段」でした。
似合うかどうかより、まずは気になった服を手に取って鏡の前に立つ。
少し派手なくらいの方が、心が軽くなった気がしたのを覚えています。
服への関心が、静かに薄れていった
年を重ねるごとに、服への興味は少しずつ薄れていきました。
気づけば、クローゼットの中は似た色や形の服ばかり。
それでも不思議と、それが落ち着くようになりました。
ある日、妻に「いつも同じ服ばかり着ているね」と言われたとき、
恥ずかしいような、でもどこか安心するような気持ちになりました。
もう無理に“変わる必要”がなくなったのかもしれません。
「選ばない」ことで生まれる、余白
朝の忙しい時間に「今日は何を着よう」と考える時間が減るだけで、
一日がすこし穏やかに始まります。
選択肢が減ることで、頭の中にも余白が生まれます。
同じ服を着ることは、怠けではなく、
自分の輪郭がゆるやかに定まっていく過程のようにも思えます。
変わらないことを選ぶのも、ひとつの美しさ。
変わらない日々を、丁寧に着る
もしかしたら、
「いつも同じ服を着るようになった」のではなく、
「同じような日々を丁寧に着ている」のかもしれません。
変化を追いかけるのではなく、変わらない時間の中にある小さな揺らぎに気づく。
その静けさの中に、自分らしさが宿るのだと思います。
静けさの中にある美意識
人は、変化の中で成長しながらも、
やがて“変わらない心地よさ”を見つけるようになります。
同じ服を選ぶことも、その延長線上にある暮らし方。
それは決して退屈ではなく、
むしろ「自分の中の静けさ」を纏うことなのかもしれません。
変わらない日々を、静かに記す花があります。
時間の流れに寄り添うように咲く、ひとつのかたち。
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