よく祖母から手作りの味噌をもらいます。
その味噌は、2〜3日に一度はかき混ぜないと、ふとした隙にカビが生えてしまう。
だから、混ぜる作業がどうしても必要になります。
正直に言えば、忘れそうになったり、ちょっと億劫に感じることもあります。
だけど、蓋をあけて一口味わうと、手間の分だけ濃密で、深い味わいが口の中に広がるのです。
市販の味噌にはない「余韻」がそこにはあります。単に塩や発酵のバランスが良いというだけではなく、誰かの手の温度や、世話をした時間、ついでに交わした会話の断片までが、味に入り込んでいるように感じられます。
そう思うと、混ぜるという小さな手間が味に「物語」を与えているのだと気づきます。
手間が「価値」になるとき
手間は、ただの不便ではありません。
それは「関係性」を生むきっかけでもあります。
誰かが時間を割き、注意を向けるという行為が、そのものの見え方を変える。手間という行為は、結果としてそのものに“重み”や“意味”を与えます。
考えてみれば、私たちが大切にするものの多くは、どこかで手がかかってきたものです。
編み物、パン、木工、庭の手入れ
それらは日常に小さな手間を残し、その手間があるからこそ愛おしくなる。贈りものとしても同じで、手間の匂いがするものは、受け取る側に「この人が自分を想ってくれたんだ」という確かな感覚を与えます。
手間を肯定する小さな実験
手間を「負担」ではなく「贈りものの一部」として捉えるために、簡単な実験をしてみませんか。
日常の小さなモノに一手間を加えてみるだけで、見え方は変わります。
- 毎朝のコーヒーを、いつもよりゆっくり淹れてみる。
- 花一輪を選んで、水切りをしてから飾る。
- 誰かにもらったものに短いメモを添えてみる(「この間の話を思い出して」など)。
大きな時間は必要ありません。たった数分の差が、受け取る側の感情を深くすることがあります。
手間と“気配り”の違い
とはいえ、「手間をかければいい」という単純な話でもありません。
大切なのは意図と配慮です。
手間が見せかけや自己満足になってしまうと、受け手には重荷に映ることもあります。だからこそ、「相手の暮らしにそっと馴染む手間」を意識したいものです。
たとえば、手作りの食品を贈るときは保存の手間や扱い方を一言添える。工芸品なら、置き場所のヒントやケアの仕方をそっと伝える。こうした一言があるだけで、手間は親切に変わります。
手間があるものを選ぶときの、自分への問い
ものを選ぶとき、次のような問いを自分に投げかけてみてください。
- これは誰の時間を使わせるものか?(自分か相手か)
- この手間は、相手の暮らしに負担にならないか?
- 手間が与える「物語」は、受け手にとって心地よいだろうか?
こうした視点があると、手間の価値を無理なく伝えられる贈りものや日常の選択が見えてきます。
手間のある暮らしは、豊かさのサイン
祖母の味噌を混ぜる作業は、面倒くさい時もあります。
でも、その面倒さがあるからこそ、食卓にのる時の特別さが増す。
手間は、暮らしに「間」を作り、記憶を育て、関係を温めるゆっくりした力です。
もし、そんな手間をまとったものに心が動くなら
それはあなたが、日常のささやかな物語に気づく目を持っている証拠かもしれません。
日常の中の小さな手間や、手がかかったものの余韻に寄り添いたい人には、そっと見てほしい「やさしいもの」がある。興味があれば、気軽にのぞいてみてください。