急な帰省で、片道5〜6時間の電車移動が生まれた。普段ならダウンロードしておいた映画や音楽で時間を埋めるところだが、その日は準備できずに旅に出た。結果として得たのは、意外と「虚無」の時間。
でも、その虚無が教えてくれた小さな気づきがあった。
夜の窓と、虚ろな時間
新幹線に乗り込むと、すでに外は夜だった。車窓に映る景色はガラスに反射して見えず、普段の“見る楽しみ”は奪われてしまう。
スマートフォンで何かを見る気にもならず、ただ電光掲示板の流れる光をぼんやり眺めるだけ。
時間が遅く進むように感じ、心の中にぽっかりとした虚無が広がった。
子ども時代との違い
そのとき思い出したのは、子どもの頃の自分だ。長時間の移動中、退屈を感じた覚えはあれど、いつの間にか「なんで?」という好奇心で時間をつぶしていた。
- どうして夜になると窓から外が見えなくなるのだろう?
- 電光掲示板の広告は同じものが何度も流れるのはどうして?
- みんな駅弁をあんなに楽しむ理由って?
大人になった今は、情報や刺激が常にある日常に慣れてしまい、刺激の“量”や“質”が変わった。
だからこそ、無為の時間に面と向かうことが苦手になっているのかもしれない。
虚無の時間がくれたもの
けれど、その「何もすることがない時間」は無価値ではなかった。逆に、普段は見落としがちな感覚を取り戻させてくれるきっかけになった。
- いつもなら気に留めない電灯の色が目に残る。
- 小さな音や人の歩くリズムに敏感になる。
- 子どものころの「なんで?」が、自分の内側からそっと顔を出す。
こうした静かな観察は、忙しい日常の【余白】となる。無理に時間を埋めようとせず、空白を受け容れることで、思いがけず小さな発見が生まれる。
ちょっとした提案
次に似たような移動があったら、以下を試してみてほしい。肩の力を抜いて、虚無を単なる「暇」ではなく「素材」にする感覚だ。
- スマホを目の前に置かない時間を10分作る。
- 窓の反射に注目して、外と内側の境界を観察する。
- 電光掲示板や広告の違いをメモして、後で考えてみる(小さな好奇心の種になる)。
おわりに
移動の虚無は、単に時間が無いことを嘆くためのものではない。むしろ、普段の刺激に慣れてしまった自分を立ち止まらせ、忘れていた好奇心や感覚を取り戻すヒントを与えてくれた。
これはあくまでも個人的な気づきだが、もしあなたも同じように感じることがあれば、次の移動では「何もしない時間」を少しだけ観察してみてほしい。きっと、小さな発見があるはずだ。
※あくまで個人の感想です
もっと静かな時間について知りたい方は、Our Storyをどうぞ