謙虚すぎることが自慢に見えるとき

ものと、ものがたり

ちょっとした居心地の悪さについて

最近、ふとした場で「言い過ぎないように」と用心している自分に気づきました。
謙虚でいようとすると、逆に「何かを自慢しているように見える」と感じる瞬間があって、なぜだろうと考え込んでしまったのです。あなたにもそんな体験、ありませんか?

辞書を引けば自慢と謙虚は反対語です。でも人と人の間では、両者が隣り合っていることが多い。そこには言葉にならない微妙なやりとりや、場の空気が深く関わっています。


なぜ「謙虚」は誤読されるのか

たとえば、誰かが自分の成果を軽く流すように話したとします。「いや、たいしたことじゃないんですよ」と。でも聞いている側は、ついこう思うかもしれません。「本当は大きなことなんだな」と。

これは相手の心の中で起きる“補完”の作用です。情報が少ないと、人は自分の持つ文脈や感情で意味を埋めます。そこで出てくるのが誤読です。謙虚な言葉が「裏に何かあるぞ」と捉えられると、それはもう自慢の一種になってしまう。

もう一つ、場の文脈も効きます。祝いの席で過度に謙遜すると、受け手が「なぜここで自分を下げるのか」と違和感を覚えることがあります。言葉の問題というより、「場」のルールを読み違えているように見えるわけです。


伝え方の違いが、受け取り方を決める

ここで大事なのは、自分がどう伝えたいかではなく、相手がどう受け取りやすいかを少しだけ考える習慣です。これは自分を偽るという話ではありません。むしろ誠実さを壊さずに届く方法を考えることです。

たとえば私は、直接「自分がこんなことをやりました」と語る代わりに、成果が見える“所作”を選ぶことがあります。仕事なら成果物をそっとテーブルに置く。贈り物なら、長々と説明する代わりに短い一行のカードを添える。声の大きさではなく、行動の丁寧さで示す。
そういうやり方です。

それだけで受け手の印象は驚くほど柔らかくなります。
自分で自分を語らなくても、相手の心に伝わる「証」が残るからです。


具体的なやり方(押しつけない工夫)

ここからはあくまで私のやり方の例です。真似したらすべて解決する、という魔法ではありませんが、試す価値はあると思います。

まずは「場を読む」。
その場で話すべきか、黙って所作で見せるべきか。例えば同僚の昇進祝いで自分の功績を語るのは控える。相手を立てる言葉を選ぶ。小さな配慮が場の空気を壊さないコツです。

次に「所作で示す」。
自分の仕事なら説明を増やすよりも、成果物を見せる。贈り物なら、長いラッピング説明より一行のメッセージ。「そっと、あなたへ。」のような短さは、余白を相手に残します。

最後に「第三者の言葉を借りる」。
自分で自分を褒めるのは難しい。だからこそ他者の声を活用するのです。短い推薦の言葉やお客様の感想をそっと紹介するだけで、自己申告の空気が薄れます。


ものづくりの現場から見えること

私たちがものを包むとき、伝えたいのは自分たちの「腕自慢」ではありません。手をかけたことの証明でもあります。だから梱包には、手書きの番号や小さなカードを添えます。詳しい説明を送る代わりに、箱を開けたときに伝わる“人の気配”を残すためです。

そのやり方が、つい自慢めいて聞こえる言葉よりもずっと誠実に受け取られる。受け取り手が自分で気づいてくれる余地を残す。
これが、わたしたちなりの「控えめな誇りの示し方」です。


最後に – 謙虚さは美徳だけど、扱い方が大事

謙虚でいることは素敵です。けれど、それをただ守ればいい、というわけでもない。大事なのは相手を想うこと、場を整えること、そして自分の達成や想いを押し付けずに伝える工夫です。

もしあなたが誰かに何かを伝えるときにためらいがあるなら、まずは一歩引いてみてください。言葉を減らして小さな所作を一つ添える。それだけで、余計な誤読は減り、届いてほしいものだけが静かに届く。そんなことを、私は最近じんわりと実感しています。


私たちが大切にしている「そっと伝える」所作については、Our Storyで静かに綴っています。
よければ覗いてみてください。

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