一方通行の贈り物について考える

想いを、贈るヒント

僕の妻は一人っ子で、比較的裕福な家庭で育ちました。
妻の父はアクティブで社交的な人だったようで、仕事の日も休日も、朝早くからサーフィンに出かけたり、会社までの往復を自転車で走ったりと、いつも動き続けていた人です。

一方で妻は、どちらかといえば内向的で、静かな場所でひとりで遊ぶことのほうが落ち着くタイプ。
父親とは性格もテンポもまるで違っていました。

そんな2人の温度差は、贈り物の場面でも現れます。

妻のまわりには、いつも父親が買ってくれたおもちゃやゲームが並んでいたそうです。
3人兄弟で、ものが少ない中で育った僕からすると、それは羨ましい話に聞こえます。

けれど、妻はその贈り物たちに、どこかしっくり来ない気持ちを抱えていたそうです。
父親が買ってくるものは、すべて父の価値観で選ばれたもので、
「あなたはこれが好きだろう」
「これを与えておけば大丈夫だろう」
そんな一方通行の想いでできている贈り物だったと。


一方通行の贈り物は、どうして生まれるのだろう?

贈り物は本来、相手の輪郭をそっと撫でるように「あなたを見ています」というサインのようなものです。
でも、そこに“自分の価値観”が強く入りすぎると、贈り物は突然、相手から少し離れた場所へ落ちていきます。

一方通行の贈り物が生まれてしまう背景には、大きく3つあるように思います。

① 自分が喜ぶもの=相手が喜ぶもの、と思い込んでしまう

悪気などは一切ありません。
ただ、相手の世界を覗く前に、自分の価値観で埋めてしまう。
誰にでも身に覚えのあることです。

② “行動の熱量”で気持ちを表現しようとしてしまう

アクティブな人ほど、形やボリュームで愛情を示そうとします。
でも、受け取る側が静かな気質だと、その温度差は大きくなりやすい。

③ 相手の「好き」や「ほしい」が、そもそも言語化されにくい

内向的な人は、とくにそうです。
だからこそ、丁寧に観察しないと見えない。

そしてこの“見えにくさ”が、すれ違いの始まりになります。


一般的によくある「一方通行の贈り物」

こうした温度差は、決して珍しい話ではありません。

  • アウトドアが好きな父が娘にスポーツ用品を買ってくる
  • 洋服にこだわりがない夫が、妻に自分目線で服を選んでしまう
  • 忙しい親が、子どもの「好き」に向き合う時間がなく、流行のものを渡してしまう
  • 上司が部下に、高価なけれどセンスの押しつけになってしまうギフトを渡す

どれも、
相手の輪郭を見つめる前に、自分の尺度で選んだ結果
起きてしまうことです。

贈り物は難しいものだな、とあらためて思います。


「受け取りやすい贈り物」は、相手の静けさに寄り添う

妻の経験を聞くたびに、贈り物で大切なのは「大きさ」でも「豪華さ」でもなく、
どれくらい相手の温度に合わせられるかなのだと感じます。

同じ物でも、
押しつけられたものは重く、
寄り添って選ばれたものは軽い。

静かであればあるほど、相手の心にすっと入る。

キクズノハナの世界観で言えば、
“こちらから語りすぎない、委ねる贈り物”
という感覚に近いものです。

誰かのペースに合わせすぎず、かといって自分の価値観を押しつけない。
ただ、その人の静かな輪郭を見つめて、そっと手渡す。

そんな贈り物のあり方を、あらためて考えています。


贈り物の本当の価値は、 “相手の気持ちをどれだけ見つめられたか” にあるのかもしれません。

今日は、そんなことを考えるきっかけになった、私たち自身の小さな体験を綴ります。

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