実家に帰ったとき、ふと見上げた空の広さに、息をのみました。
「空って、こんなにも広くて、圧巻なものだったんだ」と。
上京してからも空を見ることはあります。
けれど、ここまでの壮大さを感じることは少なくなりました。
なぜ、都会の空は狭く見えるのか
その違いについて考えました。
おそらく、
- 道路の広さ
- 建物の高さ
といった空間的な「余白」が関係しているのだと思います。田舎の空は、地上にゆとりがあるぶん、空そのものも呼吸をしているように感じます。
一方で、都会の空は、建物と建物の隙間に少しだけ覗く、限られた存在です。
人が作る窮屈さ、自然が見せる壮大さ
都会には人が多く、どうしても“窮屈な街づくり”が必要になります。
それは、人々の生活を支えるための工夫であり、誰かがそこに生きるための構造でもあります。
そしてその密集こそが、
影と陽、密と疎、未来と過去、高と低
そんなコントラストを生み出し、
都会という風景を形づくっています。
人工の街は、人が創った「作品」でもある。
だからこそ、その中にしかない美しさも確かにあるのだと思います。
ただ、その美しさのなかで、私たちはときに、自然の壮大さを忘れてしまう。
空が思い出させてくれること
自然の壮大さは、恐ろしくもあり、圧倒的でもあります。
人の手では到底つくり出せない世界。
だからこそ、窮屈な街に暮らすことで、
私たちは自然を求めるようになるのかもしれません。週末のキャンプや、川辺で過ごす静かな時間。
そのすべてが、「思い出す」ための行為のように感じます。
忘れかけていた「想い」を、そっと形にしています。
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